建物の寿命に対する認識

建物の寿命に対する認識

現在の日本の建物を論ずる上で外すことができない話題の一つに、建物を壊しては建て、建てては壊す「スクラップ&ビルド」という現象が日本全国で見られるという事実がある。この現象が起こる背景には様々な理由が考えられるが、ここでは日本人の建物の寿命に対する認識を取り上げる。そもそも日本人は過去どのように建物の寿命を認識し、壊しては建てるという行為を繰り返してきたのか。

私は日本人が建物の寿命を認識した時期が今日までに3回ほどあったようである。その時期とは、明治初期に建てられた洋風建築が壊され始めた1910年頃、耐用年数が話題になる1960年頃、そしてバブル景気が弾けた1990年頃である。当時の詳細は文献1に詳しい※1が、この3時期を中心に日本人の建物の寿命に対する認識の移り変わりを明らかにしたい。

その前に、近代以前の日本人の建物の寿命に対する認識はどのようなものだったのだろうか。例えば20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮を例にとり、日本人は古来より建物本体ではなく形式の永久性を重視しているので、日本の建物の大多数を占める木造建築は寿命は短くて当然といった俗説をよく聞くが、その認識は日本の木造建築の実態とはかけ離れている。確かに神社仏閣などの木造建築は解体修理を繰り返すことで長い寿命を得ているが、その周期は100年程度が基本であり、概して短い期間ではない。伊勢神宮の式年遷宮は特例であり、20年という周期は儀式的な意味が大きいと考えたほうが自然だろう。また住宅を始め一般的な木造建築も、程度の差はあれ修理を繰り返せばいつまでも使えるという認識が一般的だっただろう。つまり近代までは建物の寿命という認識はなく、機能的な問題があっても基本的には修理を重ねて使い続けていたと考えられる。

さて日本人の建物に対する認識が最も大きく変わったのは、恐らく明治期だろう。明治維新後に欧米諸国の近代化という概念が一気になだれ込み、それまでの日本人の価値観は建物に対する認識を含め大きく転換したに違いない。同時に近代国家に相応しい社会基盤として洋風建築が東京を中心に次々と建てられた。その後1923年(大正12年)に関東を襲った関東大震災によって多くの建物が崩壊したため当時の建物はほぼ現存しないが、実は明治末期(1910年頃)に東京のランドマーク的な洋風建築がいくつも取り壊されている。例えば1872年(明治5年)に建設された新橋停車場は、わずか37年後の1909年(明治42年)に東京中央停車場(現東京駅)の建設に伴い取り壊された。このような現象は老朽化や明治維新後の政治的な取り壊しとは異なり、その多くはただ機能的に不要だからという理由であったと考えられる。そのため写真記録や機能転換を含めた論議など現在の保存運動に繋がる活動も行われたが、その対象は洋風建築という特別で重要な建物群であり、恐らく一般的な建物は全く想定されていないだろう。つまり歴史的な価値が問われる建物については保存活動という形で寿命が認識されることになったが、一般的な建物については近代以前と同様に寿命という認識はなかったと考えられる。

第2次世界大戦を経て1960年頃になると、建物の機能性や「耐用年数」に対する論議が活発になる。戦後直後は極度の建物不足と建設費の高騰のため老朽化した建物でも使用されていたが、復興が進むにつれてそれらの建物の老朽化が問題化してくる。さらに慢性的な住宅不足の解消を目指した大量生産・大量供給※2に伴い住宅の質が問題になる。例えばその頃、不燃化・高層化に加え半永久的な都市の構築に相応しい材料として鉄筋コンクリートが積極的に採用されたが、その耐久性は想像以上に短いことが問題視され始めている。さらに1961年8月号の「建築雑誌(建築学会の機関紙)」では「耐用年数特集」が組まれ、建築計画・構造・設備・都市計画の視点から論議されている。その討論会ではこれまでの建物の寿命に対する認識に疑問が投げかけられ、「記念的な建物」の保存は必要だが、一般的な建物を指す「経済的な建物」の寿命は30年から40年程度が適当であり、将来は20年程度になると締めくくっている。恐らく初めてこの頃に一般的な建物の寿命が陳腐化や設備の普及など使用者の立場から提議され、その後の議論にも大きな影響を与えたと考えられる。またこの時期を境に建物の寿命は耐用年数との関係で語られ始め、同時に建設業界の意図が見え隠れする「スクラップ&ビルド」という方法論が確立したのである。そして「経済的な建物」の代表である住宅の寿命は30年程度が適当、という考え方は高度経済成長による持ち家の普及とともに一般的な認識となっていく。

その後建物のスクラップ&ビルドは景気を刺激する有効な経済活動だと認識されるようになり、積極的な建物の建設とそれに伴う取り壊しが繰り返され、1980年代のバブル景気の時に最盛期を迎える。しかし1990年頃のバブル崩壊と世界的な地球環境への関心の高まりから、建物の寿命が再認識される。スクラップ&ビルドからの脱却が求められるなか、日本の建物の寿命は短かすぎないかという疑問が生まれた現状については既に繰り返し述べているので、ここでは割愛する。

このように一般的な建物、特に住宅の寿命は30年程度、という今日の多くの日本人が持つ認識は日本古来の認識ではなく、高度経済成長以降の新しい認識であろう。その認識が生まれてから50年程度を経て、今ようやく建物の寿命とともに本格的に見直す時期が来たのかもしれない。

※1 本論の骨子は文献1の第4章「歴史の中のライフサイクル概念」である。
※2 県・市などの公営住宅、日本住宅公団(1960年設立)の団地開発、そして住宅金融公庫(1950年設立)による住宅融資、を柱とした住宅政策による大量供給が始まり、1966年の第一期住宅建設五箇年計画では「住宅難の解消」と「一世帯一住宅」を目標に住宅建設計画が推し進められた。

<参考文献>
1.「時間・建築・環境」ライフサイクルマネジメント基本問題特別研究委員会報告書/日本建築学会/1998
2.「社会資産としての建築の建物のあり方を考える」1992年度日本建築学会建築経済部門研究協議会資料/日本建築学会/1992